HAIR DIRECTION nambuはおかげさまで2010年2月に創業20周年を迎えることとなりました。そして2月1日に多くのゲストの方々や、nambu OB、関係業者、nambuスタッフを含めた200名以上の方々と、創業20周年記念式典を開催できた事は経営者として、本当に感謝の思いで一杯です。ご挨拶させて頂いた内容と重複しますが、nambuが創業20周年にかけて来た想いを感謝の気持ちと共にお伝えしたいと思います。少し長い文面になりますが、20年の想いを凝縮してありますので、少しのお付き合いをお願いできれば幸いです。
今年で創業は20周年ですが、南部個人の美容生活も30年を迎え、節目の年に皆様と過す時間が持ててとても光栄でございます。さてこの20周年を簡単に振り返るならば、本当に大変な時期もありました。たくさん悔しい思いや涙を流した事もありましたが、今は楽しい思い出と感謝の言葉しか見つかりません。またどこの会社でも実績面での問題、人の問題、さまざまな大変な事も多々ありましたが、この20年間を一言で言えば、ここ数年の不況下においても「20年間一度も前年を下回らなかった実績」に集約されると思います。それはnambuグループ全体の誇りであり、自信であり、勇気であり、裏付けでもあります。またこれらを長く続けてこられた事は、本日、ご列席頂いたnambu OBの皆さんを初め、関係業者様、また南部と日頃懇意にして頂いております、ご友人方々の応援の賜物と深く感謝申し上げます。加えて、決して裕福な家庭ではありませんでしたが、我慢する事の大事さや、決して諦めない粘り強さを小さい時から身体に染込ませて頂いた両親、そしてこの20数年間に渡りこの暴れん坊将軍南部を影になり、日向になり支えてくれた妻に滅多に言えませんが、心から感謝いたします。ありがとうございます。
さてどのような会社にもそれぞれの歴史がありますが、nambuの歴史についてご紹介させて頂きたいエピソードが3つございます。どれも南部の人生おいてターニングポイントと言えると思いますが、まず一つ目は、私の技術・感性の師匠であるSHIMA美容室との出会いです。19歳の時に、日本有数の美容室SHIMAの門をたたきました。SHIMA在職期間10年の間に、6年目で吉祥寺店店長になり、9年目には吉祥寺ブロック長となって3店舗のディレクターとして管理させて頂きました。もともと10年をひとつの区切りとして独立を希望していたので、後輩店長も育て30歳で円満退社となった次第です。当時の仕事のハードさは、厳しいで有名なnambuが言うのも何ですが、毎日の営業は想像を絶する忙しさで、また営業後は毎日と言っても過言ではないくらいの技術レッスンの日々でした。気がついてみると同期が20人以上いたのですか、いつしか皆退職し6年目で南部一人しか残らなかった現実がそこにありました。当時は平均睡眠時間3時間~4時間、またお休みも業界雑誌の撮影や講習会と休める日も少なく、でもいつかは独立する以上は、これくらいの事でへこたれてどうするんだと自分自身を鼓舞していたように思います。SHIMAでは今日のnambuで一番大切であり、美容室経営の基となる技術、感性、教育、現場管理者としての厳しさや、会社の立場に立って物を考える役割等を教えて頂きました。
2つ目のターニングポイントは、故郷に独立しようと決め、当時北陸NO。1のファッションストリート竪町に必ず出店しようと決めたのですが、具体的な出店場所はまだ未定でした。それでも何度か帰郷した際に、いずれ店舗兼住宅を壊し、テナントとして貸し出すという情報を聞いていた物件があり、しかも自分の中でピンと感じる物があったので、機会がある度に、何度かご挨拶にいくのですが、ご主人様が学校の先生をなされていたのもあってか非常にお堅い方で、なかなか「そうです」とは言ってくれず、「そのような事は一切ありません」「何かのお間違えではないですか」の繰り返しでした。途方にくれた私達夫婦は何とか貯金を減らさないで生活する為に、私は友人の居酒屋で、妻はホテルで働きました。毎日が焦る日々を送っていましたが、ふとテナントとして貸す以上は必ず不動産さんが関係しているのではないかと思い、分厚いタウンページをめくり、1軒1軒電話していこうと思いました。金沢市で500件以上、次の松任市で50件、そこまで電話しても全くそのような案件については当社は扱っていないと言われました。私も流石に途方に暮れ、次の野々市町でもうなかったらこれはご縁がなかったなと諦めもつくと思い電話したところ、偶然にもいや、今思えば必然かもしれません。本日ご列席の「T宅建」M様にご連絡をいたしました。ところがその電話の向うでは大声で「おまえ何でそんな事を知っているんだ」「何者や?」「誰に聞いた」と当時純真だった私には電話の向うの迫力は「やくざ屋」さんにしか聞こえず、それでもやっと暗闇の向うに1点の光がさしてきたので、ここで電話を切られてなるものかと、何とかこの事態を説明し、理解して頂こうと必死でした。ようやく事態を理解されたMさんは、「それなら一度お会いしよう」「思いを聞こう」と真摯に向き合って下さった事が、今日のnambuの本当の原点であります。この時ばかりは流石に出会えた事に感謝し、そこまで自分を信じてきて良かったと、ぐっとこみ上げてくるものがありましたし、実績のない私には、若さゆえにある物は情熱しかなかったので、思いを伝えるのに精一杯で、目がギラギラしていたのを思い出します。そしてMさんのお力添えとご縁もあって、竪町にnambu1号店を構える事が出来ました。その時以来、私の心の中に「心に強く思った願いは、必ず叶う、奇跡が起きるのは、情熱が人を動かすんだ」と未熟ながらも悟り、そしてまずは自分を信じようと固く決意いたしました。その後も出店の際には、自分がここで出店したいと思った、多くの地主様のところに直接伺い、時には現在駐車場だった所や畑だったところに店を出させてほしいと言ったり、お子様の為に大事にされていた土地に店をださせてほしいと言ったり、断られても拒否されても何十回と通い、それらも含めてご理解頂き、全てはnambuの夢を実現させて頂いた、地主様や大家様と、間を取り持って頂いた不動産関係者様とのご縁やお力添えなくしては実現化できなかったと心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
3つ目のターニングポイントは本日ご列席で美容商品を取り扱っている、
メーカーのCOTA株式会社様との出会いでございます。SHIMA仕込みの技術、感性、教育と、若さゆえの勢いで、何とか2店舗目も順調になり始めていた頃に、ある事件がありました。これも本日ご列席でSHIMA後輩にあたる、KヘアーのYさんが、道路を挟んで、お互い目線丸見えの場所に出店をしてまいりました。Yさんごめんね!!今はとても仲の良い後輩ですので。平静を装いながらも心中は穏やかであるはずもなく、追われる立場と、年齢も30台後半に差し掛かっていたので自分の将来にも不安を感じていた年代でもありました。丁度その頃先輩に自分の胸の苦しさを伝えた所、「お前、最近は全国でも若手で年商10億近く頑張っている美容室があるのをしっているか?またその指導をされているのがCOTAさんというメーカーなんだよ」と。私は藁をもすがる思いで連絡し、COTA本社へと向かう事になりました。今までのnambuは経営とは名ばかりで、最後に残ったお金が自分の利益程度としか捉えていなかったので、COTAさんの経営指導は目からうろこ状態でした。経営者としての身だしなみ、立ち居振る舞い、そして、会社で一番大切な経営理念の確立、決算書の読み方、お金の使い方。それらは王道の経営を目指し、利益を出して出して出しまくり、経常利益は常に二桁以上に挑戦し、納税を惜しむことなく社会貢献と腹を決め、スタッフの労働環境を整備し、規模は小さくとも体質は超優良企業を目指し、美容を業とする企業家の道を選択する道でした。以来10数年のお付き合いになりますが、現在は事実上の無借金経営、金融機関とのお付き合いも20年前とは天と地との差があるくらい変わったと実感しています。COTAさんから教えて頂いたお言葉の中に、「動経一致=心のあり方と数字は一致する」というものでした。まさにこれからは経営者の資質と、心のあり方が、全て数字にあらわれてくるということです。これからの美容界に限らず、本当の意味での経営競争の時代に突入してきている現在は、経営を勉強し時代の変化に対応しきれない企業は、経営格差がさらに増大してくるものと思います。本日は3つのターニングポイントを話させて頂きましたが、SHIMAで培った鬼に金棒の技術、感性と、夢を実現化して下さった多くの出会い、そして本物の経営とは何かを教えて頂いたCOTA様との出会いが今日のnambuの根幹にあります。今思えば、また何を持ってNO。1を目指していたのかはわかりませんでしたが、とにかくNO。1をめざし、その向こう側にあるONLY1を求めていたように思います。またスタッフの教育においても、スタッフの問題がおきるたびに、普通はそうなると自分の教育方針を下げて、スタッフに迎合するものですが、nambuは決して教育レベルを下げないで、今までの金沢にはない本物のプロを育てるという開店当時の思いを曲げることなく、この20年間も貫き通してきたことが今日の教育の基礎になっていると思います。昔も今も、頑張る人は頑張るし、頑張らない人は、どこに行っても頑張らないのは時代の問題ではないと言う事も悟りました。
おかげさまで20年という歳月は、よちよち歩きの幼子が、ようやく成人して一人歩きできる年齢です。最初の10年間は何事につけてもがむしゃらに、11年目~20年目は組織を作る事に必死だった。そしてこれからの10年は事業承継の為に満身創痍で取り組んでいきます。nambuも南部個人のマンパワーから、本日参加しているスタッフそれぞれが自走するたくましさを持ち続けて頂きたいと思います。nambuの20年前は、そのあたりにころがっていたただの石ころにすぎません。それを先輩OB、現スタッフが磨きに磨きをかけ、精度をどんどん高めて、ようやく銅の輝きまでこれたでしょうか?私の役割はnambuという会社を未来永劫、永続できるように、皆さんと共に、銀の輝き、そして金の輝きとなったところでバトンタッチしたいと思っております。その後は皆さんの手でプラチナの輝きにする事ができれば、nambuは文字通り、他の追随を許さない別格中の別格までなることができ、そこにはnambu創業当時の私が願ってきたONLY 1がきっとあるはずです。現在は4店舗ですが、常に時代の変化を肌で感じ、スクラップ&ビルドを繰り返し、過去には8店舗出店した経緯があり、2010年秋には第5店舗目の小松出店も現実身を帯びてまいりました。今後ともまだまだ未熟なnambuではありますが、以前に増しまして皆様方の、ご指導ご鞭撻を頂ければと思っております。
最後になりますが、ここ最近の近況報告として、年末年始にnambuにとってBIGなお仕事がまいりました。私が懇意にしている友人を通じて、1月3日~11日まで、XJAPANのプロモーションビデオ撮影の為に、ヘアー&メークを依頼され、私とディレクターの野田とロスアンゼルスに行ってまいりました。私の美容生活30年の中でも、その場にnambuがいられたという事と、最もエキサイティングな仕事に携わる事ができて、美容師冥利に尽きるの一言でた。本当は皆様にもお見せしたい映像や、写真等もたくさんあるのですが、XJAPANゆえの肖像権、著作権の問題等もあり、お見せできないのが残念です。詳しい模様はnambuホームページブログや、ユーチューブで検索して頂ければ、そのスケールの大きさや臨場感はより伝わると思います。ここに事後ではありますが、ご報告させて頂きます。少しお時間を頂戴いたしましたが、簡単にnambuの3つの出会いの紹介と近況報告とさせて頂きました。
限られた時間でありますが、皆さんで交流を深められて、楽しい一時を過ごして頂ければ幸いです。本日は誠にありがとうございました。